尖閣の問題・そこには中国の領土拡張戦略があった

尖閣の問題・そこには中国の領土拡張戦略があった

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中国共産党は、清がイギリスなどの西欧列強に領土を奪われた経験から、軍事的実力のない時期に国境線を画定してはならないという考え方をもっている。

中国とインドの事例(中印国境紛争)では、1954年の周恩来とネールの平和五原則の合意および中国国内のさらなる安定を待って、

インドが油断している機会を捉えて、1962年11月、大規模な侵攻により領土を拡張した。

当時はキューバ危機が起きており、世界がそちらに注目している中での中国による計算し尽くされた行動であった。

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軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定するという中国の戦略の事例は、中ソ国境紛争などにも見られ、その前段階としての軍事的威圧は、

東シナ海および南シナ海で現在も進行中である。日中国交正常化時の中国側の領土棚上げ論は、中国に軍事的優位を確立するまでの猶予を得るための方便である。

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2011年現在、中国人民解放軍の空軍力は、日本、韓国、在日在韓米軍を合計したものに匹敵し、インドを含むアジアで最強であり、

その急激な近代化がアジアの軍拡を誘発している。このように尖閣問題の顕在化は、中国の軍事力が優位になってきた事がもたらしたものである。

また1968年に地下資源が発見された頃から、中国と台湾は領有権を主張しはじめた。

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例えば、1970年に刊行された中華人民共和国の社会科地図において南西諸島の部には、”尖閣諸島”と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてあった。

しかし、1971年の版では、尖閣諸島は”釣魚台”と記載され、国境線も日本側に曲げられている。
1978年4月、機銃で武装した100隻を超える中国漁船が海上保安庁の退去命令を無視して領海侵犯を繰り返した。

福田赳夫内閣が抗議すると中国は事件は偶発的と応えた[17]。1978年8月に鄧小平が「再び先般のような事件を起こすことはない」と約束し、福田内閣は日中平和友好条約に調印した。

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・漢疆計画 [編集]
2012年11月9日中国新聞網は、1990年に台湾軍による尖閣諸島強襲作戦「漢疆計画」があったことを報じた。

その中で香港の亜州週刊(2012年11月18日号)における馬英九総統のインタビューを紹介。漢疆計画とはヘリコプターで台湾兵士が尖閣諸島に上陸をして日本の灯台を破壊し、

中華民国国旗を建てその後に撤退する計画であったという。当時の?柏村(ハオ・バイツン)行政院院長が計画を支持し、45人の兵士が訓練にあたっていた。

しかし馬は、最終的に当時の李登輝総統が計画中止を命じたと述べている[25]。



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