第二次世界大戦以前の尖閣を少し見てみよう

第二次世界大戦以前の尖閣を少し見てみよう

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大日本帝国陸地測量部作成「吐?喇及尖閣群島地図」(1930年測図・1933年発行)
日本領に編入されたのは日清戦争中であった1895年1月14日である。尖閣諸島は現在、沖縄県石垣市に属している。

日本政府は、「いずれの国にも属していないことを確認したうえで尖閣諸島を沖縄県に編入した」との見解を2008年6月に出している。

これ以後、アメリカ合衆国に占領されていた時期があるものの、これは日本の施政権が及ばなかっただけであり、主権を保持しており一貫して「領有」していたといえる。

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日本政府は尖閣諸島の領有状況を1885年から1895年まで調査し、世界情勢を考慮したうえで隣国の清国など、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで閣議で決定し沖縄県に編入した。

その後日本人が入植し、アホウドリの羽毛の採取や海鳥の剥製の製作、そして鰹節の製造などが行われた。特に鰹節の製造は島の基幹産業となり、最盛期、同島には99戸、248人もの日本人が暮らしていた。

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しかし南洋諸島からの安価な製品が出回るようになると経営が苦しくなり、米軍の沖縄侵攻の可能性があり鰹節工場は閉鎖され1940年に無人島となった。

無人島になってからも日本の実効支配は継続していた。

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なお中国側は、明の時代、琉球への冊封使の報告書である古文書に釣魚台を目印に航行したとの記述があることや、

江戸時代の日本の学者林子平が書いた三国通覧図説にある地図の彩色などを主張の根拠に挙げているほか、

密やかに「領有」を実現し国際社会に宣言しなかった等の歴史的な経緯から見ると、日本のいわゆる「領有」は国際法上の意味を持たないと主張している。

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